2009年01月09日
2009年01月09日
2009年01月08日
2009年01月08日
伊予鉄市内電車新型車両の車内・愛媛県松山市
◆伊予鉄市内電車新型低床車両の車内です。

運転席の操作盤です。


料金清算機です。


前後には一段高くなった座席があります。見晴らしがいいので私のお気に入りです。

運転席の操作盤です。


料金清算機です。


前後には一段高くなった座席があります。見晴らしがいいので私のお気に入りです。
2009年01月08日
国土交通省の海洋環境整備船・愛媛県松山市
◆海面に漂流する木材やゴミは船体衝突やスクリューに巻き付くなどして航行船舶の安全を脅かします。また、事故などで漏れ出た油は魚や海鳥の命にダメージを与えます。そのため、安全で美しい海を守るには、ごみや油を海面から取り除く必要があります。そこで、海洋環境整備船「みずき」・「わしゅう」・「いしづち」を使ってごみや油を回収し海洋環境を守っています。
(国土交通省ホームページより)
国土交通省四国地方整備局松山港湾空港工事事務所所属の海洋環境整備船「いしづち」が三津浜港に入港。



(国土交通省ホームページより)
国土交通省四国地方整備局松山港湾空港工事事務所所属の海洋環境整備船「いしづち」が三津浜港に入港。



2009年01月07日
松山市立子規記念博物館・愛媛県松山市
◆松山市立子規記念博物館(まつやましりつしききねんはくぶつかん)は俳人正岡子規を記念に1981年4月2日に開館した松山市の博物館。地階から4階まであり、2階には展示第1室で、「道後・松山の歴史」「子規とその時代」に展示しているそして階段を昇り、3階には展示第2室で、「子規の目指した世界」に展示している。
◆開館当時、隣りには道後動物園があったが、現在は道後公園となり庭園だけでなく、展示施設を整備している。
◆歴代館長
初代:和田茂樹(愛媛大学名誉教授、1981年~1996年)
二代:長谷川孝士(元松山東雲女子大学教授、1996年~2002年)
三代:天野祐吉(コラムニスト、2002年~2007年)
四代:竹田美喜(元済美平成中等教育学校教諭、2007年~)




◆開館当時、隣りには道後動物園があったが、現在は道後公園となり庭園だけでなく、展示施設を整備している。
◆歴代館長
初代:和田茂樹(愛媛大学名誉教授、1981年~1996年)
二代:長谷川孝士(元松山東雲女子大学教授、1996年~2002年)
三代:天野祐吉(コラムニスト、2002年~2007年)
四代:竹田美喜(元済美平成中等教育学校教諭、2007年~)




2009年01月07日
愛媛県指定の重要文化財「湯釜」・愛媛県松山市
◆この湯釜は全国で最古のもので、愛媛県指定の重要文化財となっている。
◆道後公園の北に祀られている湯釜。この湯釜は、明治27年(1894)、道後温泉本館が出来るまで湯が上の丸いところから噴出していて、使用されていた。これは当時、湯が自然に吹き出ていたためである。道後温泉本館の改築に伴い、温泉を見下ろす丘に奉納された。直径は166.7cm、高さが157.6cmの円筒形、花崗岩製の湯口である。天平勝宝年間(749~757)に作られたと伝えられ、正応元(1288)年河野通有の依頼により一遍上人が湯釜の宝珠に「南無阿弥陀佛」の6字の名号を彫ったという。享禄4(1531)年には河野通直が尾道の石工に命じ、胴まわり部に天徳寺の徳応禅師撰文の温泉記を彫らせた。この湯口は、現在の道後温泉本館ができる明治27(1894)年まで使われたもので、温泉史上貴重なものである。宝珠には一遍上人自刻の「南無阿弥陀仏」の文字がある。
◆この湯釜に残る伝説がある。時は戦国時代、伊予の国も豪族どうしの戦乱に明け暮れていた。ある時、河野氏に逆らう豪族が湯築城付近で合戦をし、武士たちが湧き出る湯で血のついた刀を洗った。と、湧き出していた温泉が止まったが、湯神社で祈願してもらうと、元のように噴き出した。河野通直が感謝の気持ちで新たな湯釜を作ったのが亨禄4年だという。
◆湯釜薬師は明治27年に伊佐庭如矢と坂本又八郎が本館を作るまで、養生湯で使われていたが、新築なったのを期に引退。昭和25年に今の場所に移り、屋根をつけ、湯釜薬師として祀った。

◆道後公園の北に祀られている湯釜。この湯釜は、明治27年(1894)、道後温泉本館が出来るまで湯が上の丸いところから噴出していて、使用されていた。これは当時、湯が自然に吹き出ていたためである。道後温泉本館の改築に伴い、温泉を見下ろす丘に奉納された。直径は166.7cm、高さが157.6cmの円筒形、花崗岩製の湯口である。天平勝宝年間(749~757)に作られたと伝えられ、正応元(1288)年河野通有の依頼により一遍上人が湯釜の宝珠に「南無阿弥陀佛」の6字の名号を彫ったという。享禄4(1531)年には河野通直が尾道の石工に命じ、胴まわり部に天徳寺の徳応禅師撰文の温泉記を彫らせた。この湯口は、現在の道後温泉本館ができる明治27(1894)年まで使われたもので、温泉史上貴重なものである。宝珠には一遍上人自刻の「南無阿弥陀仏」の文字がある。
◆この湯釜に残る伝説がある。時は戦国時代、伊予の国も豪族どうしの戦乱に明け暮れていた。ある時、河野氏に逆らう豪族が湯築城付近で合戦をし、武士たちが湧き出る湯で血のついた刀を洗った。と、湧き出していた温泉が止まったが、湯神社で祈願してもらうと、元のように噴き出した。河野通直が感謝の気持ちで新たな湯釜を作ったのが亨禄4年だという。
◆湯釜薬師は明治27年に伊佐庭如矢と坂本又八郎が本館を作るまで、養生湯で使われていたが、新築なったのを期に引退。昭和25年に今の場所に移り、屋根をつけ、湯釜薬師として祀った。

2009年01月06日
ある日の市内電車の旅1・愛媛県松山市
◆ある日の市内電車の旅です。

古い市内電車の運転席です。このタイプの車両は60年近く現役のものもあるそうです。

いつも見る松山市内も車内から見るとまた違った風景が見えます。

車内の風景です。市内電車は便利なので座席はいつも埋まっています。






古い市内電車の運転席です。このタイプの車両は60年近く現役のものもあるそうです。

いつも見る松山市内も車内から見るとまた違った風景が見えます。

車内の風景です。市内電車は便利なので座席はいつも埋まっています。





2009年01月06日
2009年01月06日
とべ動物園1月2日の開園待ち行列・愛媛県砥部町
◆とべ動物園、新年1月2日の開園待ち行列です。9時の開園に来園した人は500組を越えたようです。先着500組には、動物園のカレンダーと記念品が配られたそうですが、もらえなかった人もたくさんいたそうです。

私より前です。50組くらいはいるかな?

8時30分ころには最後尾が見えなくなりました。

丑年ということで、牛に関する資料が展示されています。

骨格標本以外にパネル資料なども展示されていました。

私より前です。50組くらいはいるかな?

8時30分ころには最後尾が見えなくなりました。

丑年ということで、牛に関する資料が展示されています。

骨格標本以外にパネル資料なども展示されていました。


















































